国指定史跡箕輪城跡
箕輪城とは1500年頃、現在の高崎市の浜川地域を拠点にしていた長野氏が築城したとされる平山城です。在原業平の子孫と伝えられる長野氏は箕輪城を拠点にして西上野を支配し、特に長野業政の代に全盛期を迎えました。箕輪城は、甲斐の武田氏、相模の後北条氏、越後の上杉氏の各勢力が争う最前線の要衝として合戦が行われた群馬県を代表する城郭跡です。度重なる武田信玄の攻撃を長野業政が退けましたが、1561年に病没後、長野業盛の代に1566年の武田信玄の西上野侵攻によって落城しました。以降、武田、織田、北条、徳川の各氏が城を治め、徳川氏の時代には井伊直政が城主となり12万石の領地を拝領しました。1598年には高崎に城を移した為、廃城となりました。国史跡になっている戦国時代の城門復元としては全国で6例目となる復元事業が進んでおり、戦国時代の城郭で規模が確認されている門跡としては関東最大規模を誇る「郭馬出西虎口門」が復元されました。また、箕輪城跡を散策される際、城を南北に二分する「大堀切」は必見です。
(群馬県高崎市箕郷町東明屋582-6駐車場有、大型可)